映画道を極める一直線女子の裏話

愛子による「映画道を極める一直線女子」の裏話ブログです。こぼれ話や感想などを書いていきます。

裏側の「爆発的繁栄 1年間の観客動員1000万人が4作」

 

映画道を極める一直線女子 爆発的繁栄 1年間の観客動員1000万人が4作の実力を公開いたしました。

 


「にっぽんGメン 第二話 難船崎の血闘」

 

「にっぽんGメン 第二話 難船崎の血闘」は、1950年の片岡千恵蔵市川右太衛門ダブルキャストによる刑事、ギャング要素うを含んだ現代劇によるオールスターでした。のちのさまざまな東映の刑事映画や刑事ドラマなどへも影響を与えている日本の伝説的な刑事映画です。現在でいえば、「相棒シリーズ」にもつながっています。1作目が1949年であり、2017年で68年の流れが現在も続いています。

 

 「にっぽんGメン 第二話 難船崎の血闘」も、1946年からの変幻自在の探偵の活躍を描いた多羅尾伴内(七つの顔の男)シリーズを4作をヒットさせていた、松田定次片岡千恵蔵のコンビでヒットしました。

 

 

片岡千恵蔵のギャングシリーズは世界でも稀な複雑なシリーズ映画>

 

「にっぽんGメン 第二話 難船崎の血闘」は片岡千恵蔵のギャングシリーズ・通産24作の2作目に該当すると考えられている作品です。それは同時に「にっぽんGメン」3部作へもクロスオーバーシリーズとなります。ちなみにギャングシリーズは片岡千恵蔵の地獄シリーズ・7年間で9作(1957~1964)を含む形でクロスオーバーしています。世界でも前例がないほどに複雑なシリーズ映画です。

 

1948年「にっぽんGメン」から1964年の「地獄命令」までの16年で、なんと23作が作られた大ヒットシリーズです。以前は22作とブログには書きましたが23作でした。いずれは細かい部分も取り上げようと考えています。

 

 

<高松錦之助と大谷友三郎>


監督・沼田紅緑×撮影・松田定次のコンビ8作の中でこの高松錦之助と大谷友三郎が登場しています。

 

 こちらにあります⇒爆発的繁栄 1年間の観客動員1000万人が4作の実力

 

<高松錦之助について、月形龍之介との深い縁>

 

*高松錦之助1924年から1966年まで映画に出演し、戦後は東映で多くの作品へ貢献した名脇役、250作以上の映画に出演。個人的にも多くの作品で見かけています。2016年は仙人役で視聴しています。

 

月形龍之介が戦前に立ち上げていた個人映画会社の通称・ツキガタプロ(=月形龍之介プロダクション)でも多くの共演歴があり、戦前と戦後を通じて数十作の映画で共演、月形龍之介と仲が良かった名俳優でした。主役としては失敗していますが、1920年代に数作の主演作が確認できます。

 

 

 

<大谷友三郎、伊井友三郎について、スター転落から戦後の端役>

 

 

*大谷友三郎、伊井友三郎=1910年代には、日本映画の父・牧野省三マキノ省三)の監督の出演や日本初の映画大スター・尾上松之助とも共演歴を持つ女形で映画への出演履歴がある俳優、サイレント映画時代には男の俳優が女形として女性役を演じて、映画に出演している時期がありました。ですが、その時期もあまり長くはなく、男性役へと転向していきます。

 

映画デビュー前は伊井友三郎の芸名で、新派の当時の重鎮・伊井蓉峰(いい・ようほう)の養子として活動している時期がありました。尾上松之助とも共演歴などのある程度の実積を認められて、大谷友三郎の名義で1920年代にマキノプロダクションが主演を10本ほど任せましたが、スターとしては大成しませんでした。その後、映画界を一時的に離れていき、1930年代中盤から大谷友三郎の名義の前の伊井友三郎の名義で舞台の活動をしながら映画へ出演しています。

 

 

商品化されている映画では大映勝新太郎が主演した1963「悪名一番」や1964「座頭市関所破り」 、東映高倉健の1965「昭和残侠伝」などの出演も確認されています。1966年頃まで出演していました。