映画道を極める一直線女子の裏話

愛子による「映画道を極める一直線女子」の裏話ブログです。こぼれ話や感想などを書いていきます。

190歳の尾上松緑 日本映画の最初の巨匠から大友柳太朗への贈り物

190歳の尾上松緑 日本映画の最初の巨匠から大友柳太朗への贈り物

 

映画道を極める一直線女子 【映画急転直下】歌舞伎俳優?!同姓同名の尾上松緑と大友柳太朗が共演の深層を公開いたしました。

 

今回は大友柳太朗、大河内傳次郎尾上松緑、沢田清、浅香新八郎、大岡越前市川右太衛門美空ひばり徳川家康、中村芳子を中心に松平直次郎、「大名シリーズ」、お洒落狂女、中村鴈治郎、寿々喜多呂九平、中村富十郎松たか子寺島しのぶ市川團十郎、本田美禅などが登場しました。

 

作品タイトルは『大岡政談 越後屋騒動』、『大岡政談 花嫁八十八夜』、『忍術関ケ原 猿飛佐助』、『あらくれ大名』、『花の生涯』などが出てきます。

 

 以下の内容は上記のリンク先の記事をを見ていただきますといり理解できる内容になっています。良ければご覧ください。

 

 

【演劇界】2002年6月号 特集尾上松緑四代 [雑誌]

・現在に活動している4代目の尾上松緑

 

 

 

 

大友柳太朗と3名の尾上松緑を巡る謎の松緑の浮上

 


初代の尾上松緑が生きた時代はまだ江戸時代の1744~1815年であるため、『忍術関ケ原 猿飛佐助』へ出演したのは初代でもありませんし、ありえません。生きていたら190歳を越しています。尾上松緑の映画出演履歴は1927年から残されています。日本映画の父で日本映画の最初の巨匠、牧野省三の映画会社のマキノプロダクションやマキノ御室と言われる映画会社に在籍していました。


1927年のこの時、のちの2代目の尾上松緑尾上松緑を襲名する前の松本豊の芸名で数え年が14歳でした。こうした理由から普通に考えたら別人ということになるでしょう。父の歌舞伎の有名な家系である七代目の松本幸四郎の息子が子役で映画デビューしていたとも考えにくい事実だからです。

 

歌舞伎名作撰 達陀 / 二人椀久 [DVD]

歌舞伎名作撰 達陀 / 二人椀久 [DVD]

・現代でも見られる2代目の尾上松緑のDVD作品

 

 

190歳の尾上松緑と映画150作の名優の尾上松緑と2代目の尾上松緑


この1927年は初代の尾上松緑が生まれた1744年から190年以上が経過しており、尾上松緑が歌舞伎俳優に存在していない時期でした。そのため、1927年から尾上松緑を名乗った人物は映画デビューするときに敬意を込めて拝借した芸名だったといえます。


同姓同名の映画の助演俳優が存在していたということになります。その後、1927年に映画デビューした尾上松緑はマキノプロダクションの1933年の解体を受けて、新興キネマへ移籍します。1935年に脇役の俳優として映画出演が100作を上回りました。この年に歌舞伎俳優の松本豊が2代目の尾上松緑を襲名しています。出演100作の年に2代目が生まれるという不思議な縁です。

 

鞍馬天狗 2 御用盗異聞

時代は戻りますが、、1927年の公開された『鞍馬天狗異聞 角兵衛獅子』に1927年に映画デビューした尾上松緑が出演していました。映画出演の代表作と言えるでしょう。嵐長三郎(のちの嵐寛寿郎の主演の記念すべき第1作です。

 


さらに時間が経過、1938年の『忍術関ケ原 猿飛佐助』で大友柳太朗らと共演を果たしています。大友柳太朗は直接な牧野省三との関わりはありませんでしたが、マキノプロダクションで映画デビューした尾上松緑との共演は見知らぬ牧野省三からのちょっと贈り物です。この映画俳優の尾上松緑を介してマキノプロダクションの風を感じていたのではないでしょうか。

 

映画俳優の尾上松緑は新興キネマが大映映画となる1942年の前年に映画界から姿を消しました。1927年から引退したと考えられる1941年の14年間で映画出演数は150作を上回っています。彼もまた映画界に名前を残した名優でした。

 

 

初代の尾上松緑、190歳の歌舞伎俳優、生きていたら190歳の江戸時代の歌舞伎俳優は映画『忍術関ケ原 猿飛佐助』には存在していませんでした。存在するとしたら復元されてロボットやサイボーグ、アンドロイドの要素を所持つ存在として、現代の世の中へ蘇ることでしょう。