映画道を極める一直線女子の裏話

愛子による「映画道を極める一直線女子」の裏話ブログです。こぼれ話や感想などを書いていきます。

無双男と競い滑り落ちてゆく河部五郎の交差劇

 

映画道を極める一直線女子 【映画壮絶秘話】たった4年の黄金期を生涯背負った映画スターを公開いたしました。

 

個人的には文章数を書き過ぎてしまう癖がありますが、その辺をセーブして、文章が多くなり過ぎないように注意していこうと考えています。

 

競い合うということは現代では煙たがる人もいます。確かにつらいし大変だし、人と比較されてしまうこともある。しかし、映画のために競い合った人間たちを知ると競い合うことも必ずしも悪いことではないと教えてくれます。

 

今回の表記事では河部五郎 オールスター映画 大河内傳次郎 下郎 弥次喜多道中記 マキノ雅弘 遠山金四郎 古賀政男 片岡千恵蔵 小国英雄 伊藤大輔 田崎潤 英傑秀吉 下郎の首 新東宝 修羅八荒 キネマ旬報 オペレッタ時代劇映画などの話が登場しています。記事初めのリンクから訪問できます。

 

 


無双男 片岡千恵蔵と競い滑り落ちてゆく河部五郎の交差劇パート1

 

 

 

実は河部五郎の主演の代表作は『英傑秀吉』でストップした数ヵ月後、日活は片岡千恵蔵の千恵プロの配給(提携関係、事実上の日活俳優の仲間入り)をスタートさせています。

 


日活と深い関わりが生まれるまでの片岡千恵蔵は、最初のヒットシリーズの1927年『万花地獄シリーズ』(マキノプロから千恵プロの2社に隔て通算8作(視聴可能の断片作を含めると9作)がヒットして、『任侠二刀流』3部作でもファンを獲得、1928年に自身の映画会社の千恵プロを興し、稲垣浩と1928年の『放浪三昧』や『源氏小僧』(後にも続編がいくつか作られる)などの名コンビで高い支持や人気を集めていました。

 

 

 

 

 

万花地獄 (1) (吉川英治文庫 (8))

片岡千恵蔵は最初のヒットシリーズの1927年『万花地獄シリーズ』は断片作のみが残されているといわれています。万花地獄の断片作は、NPC(=東京国立近代美術館フィルムセンターが『萬花地獄』の題名で1分ほどで厳重に保管している文化財です。国民的な大作家の吉川英治と歴代上位の映画スターの片岡千恵蔵は互いに1920年代から深い縁がありました。

 

 

片岡千恵蔵が主演した吉川英治の原作の映画は「万花地獄」と「宮本武蔵」が特に有名です。二つだけで20作近くの映画が作られていますし、互いに自分の活動の飛躍に関与していることから、互いに恩人ともいえる部分があります。さらに片岡千恵蔵吉川英治だけではなく、大佛次郎長谷川伸など多数の歴代の国民的な3大作家と代表作の縁があります。

 

 

 

無双男 片岡千恵蔵と競い滑り落ちてゆく河部五郎の交差劇パート2

 

1928年の千恵プロが創立された時期に伊丹万作とも数本のコンビがありましたが、伊丹の才能は花咲かずにつぼみの状態でした。日活との提携後に大きく開花していくことになります。いくつかの将来性を見込んで日活が膨大な本数の提携を行うことになりました。

これは当時としては異例の待遇であり、日活側は主演スターと同時に事実上の製作(千恵プロの代表者であり、事実上の製作者)の顔も持つ片岡千恵蔵の高く評価していたことを意味しています。

 

 

その後の片岡千恵蔵大河内傳次郎を上回る無双の勢い止まることなく、日活、大映東映など大手数社で主演を中心だと1960年代の中盤まで大活躍が続いていきます。片岡千恵蔵の映画の主演の主な代表作は、河部五郎の10倍以上で日本1位はもちろん、世界歴代1位の200作以上に上ります。

 

 

 

放浪三昧 [DVD]

『放浪三昧』(1928)は片岡千恵蔵プロダクション(通称・千恵プロ)の制作した映画100作(ほとんどが日活の配給)の中でももっとも古い現存作です。この作品は日活の配給関係に至る前に作られた作品であり、千恵プロ2作目といわれています。この作品も当時の評論家たちに高く評価されたといわれています。

 

 

残念ながら千恵プロ1作目である『天下太平記』(1928)も名作といわれていますが、映画そのものが現存していません。『放浪三昧』(1928)は監督は稲垣浩(時代劇映画形成&上位の時代劇4大巨匠)、原作&脚本は伊丹万作(ナンセンス時代劇映画の形成の巨匠)、撮影は石本秀雄(日本映画史上で上位の名撮影者)、そして主演の片岡千恵蔵(シリーズのみで代表作が110を越すなどの数多くの世界記録を持つ映画スター)の数多くの名作を残した黄金カルテットで制作されました。
 

 

 


無双男 片岡千恵蔵と競い滑り落ちてゆく河部五郎の交差劇パート3


1929年に片岡千恵蔵が日活に向かい入れらたことが河部五郎のピークを短命に追いやった部分もあったと考えられます。当時の日本映画は今では考えられないほどの激しい競い合いや映画を通じた激戦が続いていました。大衆に支持されるヒット作、映画評論家など評価された代表作を残すものが残り、それが不可能なものは去ることで高い水準や良い循環を維持していました。

 

 

河部五郎もこの厳しい競争の渦に巻き込まれてしまいました。ですが、この厳しさも高い映画制作を維持するために大切なものであり、映画を観る観客たちがそれを望んでいたからです。当時の映画界や日活が悪いわけではありません。競い合いは時に苦しむ人も生み出しますが、映画の世界ために当たり前の健全なことです。

 

 

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