映画を極めろ一直線女子の究極裏道

「口も八丁 手も八丁 俺は天下の豪傑だ!」      あなたもキミも ついでに赤ちゃん そしてわたし 世の中にのさばる悪党を裁き成敗する国士たち     国賊裁き天下を動かす用心棒なのだ!?

50作近く膨大な代表作を残した映画大音楽家の行く末『国士無双』

 

映画を極めろ一直線女子 世界歴代1位映画音楽家に捧ぐ 偉大な戦前の映画音楽家をようやく公開しました。

 

 

今回記事は「50作近く膨大な代表作を残した映画大音楽家の行く末『国士無双』」と題して展開します。

 

この記事は上記リンクからの記事ですが、 大音楽家 木下忠司 大河内傳次郎 嵐寛寿郎 忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇 大菩薩峠 栗山大膳 丹下左膳 浅野内匠頭 曠原の魂 忠臣蔵 天の巻 清水港 東海水滸伝(改修・東海二十八人衆) 七つの顔 阪東妻三郎 国定忠治 魔像 忠臣蔵 地の巻 大石内蔵之助 江戸最後の日 無法松の一生 狐の呉れた赤ん坊 王将 出世太閤記 鞍馬天狗 右門捕物帖 宮本武蔵 第一部 草分の人々 第二部 栄達の門 宮本武蔵 第一部 草分の人々 第二部 栄達の門(現存版) 西悟郎 中村翫右衛門 街の入墨者 河内山宗俊 股旅千一夜 原健作 まぼろし城 天兵童子 歌舞伎俳優 河原崎長十郎 前進座時代劇らが登場しています。

 

 

 

 

西悟郎という音楽家の作家性とは

 

 

 

西悟郎の作風に関してですが、映画愛子も10作以上の担当作を視聴しています。作品の方向性に応じたオールスター、大型作品、先人からの題材作、前衛作、剣戟、文芸、スターを魅せる映画など、多彩に時代劇映画の音楽を担当しています。柔軟といえば柔軟です。この頃の映画音楽はやり過ぎない、作り過ぎない曲が多いです。西悟郎は時代劇の和を意識しながら、学んだ欧米音楽の部分をバランスよく取り入れて、それぞれの主演俳優の個性や映画のテーマや場面を意識して、引き立てる曲を作ることに神経を注いだことでしょう。

 

ちょっとそれますが、現代の日本の映画の音楽は残念ながら日本らしさを感じられない、完全に海外に染まった曲が多くなってしまいました。個人的にはかなり残念です。

 

 

 

 

明るい曲や朗らかな曲調が印象的

 

 

 

西悟郎は特に明るい曲や朗らかな曲調が得意だったように感じられます。マキノ正博(のちマキノ雅弘)が監督『忍術三妖伝』は千恵蔵が演ずる主人公の自来也と星玲子のヒロインの網手姫が集団に追い詰められ、危機迫る田んぼの逃避行シーンで、あえて朗らかな曲を流すという意外性は斬新、しかもそれまでの時代劇映画にはあまりなかったレベルで個性的な印象や作中へのかみ合いを残しています。

 

戦前の黄金期は片岡千恵蔵とのコンビの代表作は12作ともっとも多く、千恵プロ(配給はほぼ日活)から正式に日活に場を移した、日活版の千恵蔵の明朗時代劇映画の形成に音楽で貢献し牽引したと考えています。

 

 

 

 

テレビ時代劇や他の日本の時代劇の中心にも音楽家として影響を与えた

 

 


特に視聴したものでいうと『自来也(改修・忍術三妖伝)』⇒『忍術三妖伝』、『忠臣蔵 天の巻』⇒『忠臣蔵 天の巻地の巻(総集編)』、『東海水滸伝(改修・東海二十八人衆)』⇒『東海二十八人衆(東海水滸伝改修版)』は突き抜けて印象に残ります。*⇒の先が試聴可能作

 


実は戦後の東映の時代劇映画の音楽にも影響を与えたのではないかと考えています。

 

時代劇のトップ会社の戦前の日活でもっとも活躍した音楽家の西悟郎、それは、同時にその後の東映のテレビ時代劇や他の日本の時代劇の中心にも音楽家として影響を与えたということも意味しています。

 

 

何故なら明朗時代劇映画が戦後の東映でさらに爆発的な支持を受けるからです。東映は大手6社、5社(新東宝倒産による)の時期に7年連続1位となります。このとき片岡千恵蔵は渦中の中でしたが、西悟郎は映画界を離れており、引退に追いやられた事実があります。

 

 

bb2634東海二十八人衆spポスター 阪東妻三郎 逢初夢子 片岡千恵蔵 花柳小菊 市川右太衛門 市川春代

bb2634東海二十八人衆spポスター 阪東妻三郎 逢初夢子 片岡千恵蔵 花柳小菊 市川右太衛門 市川春代

 

 

映画愛子も録画した『東海二十八人衆(東海水滸伝改修版)』をだいぶ前に試聴済みですが、この作品は名作でした。いわゆる侠客ジャンルの時代劇映画です。このポスターは「東海二十八人衆」となっていることから1950年代に新たに公開されたときのポスターだと考えられます。写真は上記から阪妻、中間は右太衛門??千恵蔵のように見える、千恵蔵です。

 

ポスターは阪東妻三郎が劇中でトップに様に表記されていますが、劇中では片岡千恵蔵に次ぐ、出番の量も含んで主要の2番手のように感じました。戦前のこの映画の時点での通産の履歴と年齢の高さでトップ表記させていたのでしょう。出番の量も2番手のように感じました。

 

 

片岡千恵蔵森の石松(出番がトップ、事実上のトップ主演)の得意な多面性の演技と阪東妻三郎の一方向演技の清水次郎長がぴったり作品とハマリ、ネタバレになるので細かい内容は控えますが、特に素晴らしい演技でした。全体的には森の石松で描いています。さらに遠山満という今では忘れ去られた名俳優の阪妻(バンツマ)との対し演技が様になり、ほぼ文句なしです。さらに多くの名シーンもあります。

 

もちろん市川右太衛門を含んで3大スターが主要キャスト(出番3番手)です。ポスターの表記どおり、女優の花柳小菊市川春代、逢初夢子を含んで六スターの出演でした。女優の関しても話すと長くなるのでここでは避けますが、製作陣も俳優もオールスターに近く豪華でした。名女優・花柳小菊は安定感がある演技の女優、これで演じた千恵蔵の森の石松のフィアンセのかぼそさもうまかったです。

 

また、藤原鶏太(のちの名優・藤原釜足)や子役時代の沢村アキヲ(のちの長門裕之)もとある役柄でいい味を出しています。見つける面白さもあり、ぜひハイビジョン化してほしい映画タイトルです。

 

 

東海二十八人衆 [VHS]

DVD化はされていないようですが、VHS版は商品化されており、購入で見られます。

 

 

 

 

戦前のほうが活躍した映画音楽家とその最期

 

 


西悟郎はトータルでは戦前のほうが活躍した映画音楽家だったと考えています。代表作の7割以上が戦前だからです。戦後は新しい環境や作品運に苦しめられましたがあまりうまくいかずに『紅蝙蝠(1958)』が最後の映画となっています。 この映画は1960年代前半にテレビ時代劇で一時的に活躍した、松本錦四郎の数少ない映画の主演作です。

 

製作=歌舞伎座、配給=松竹、この紅蝙蝠は戦前の月形龍之介の主演代表作の一つで、1931~1958まで通算8度も映画化されました。さらに『紅蝙蝠(1958)』は世界歴代1位映画音楽家に捧ぐ 偉大な戦前の映画音楽家で取り上げている丸根賛太郎の遺作のラスト前の映画監督作です。必然のような偶然の関りに感謝。

 

 

 

この記事に収まらない部分はこちらに掲載 ↓ ↓ 

原健策(原健作)と事実上の時代劇映画音楽家の源流

ura-michi-bayari.hateblo.jp

 

 

 

戦前の名コンビ 西悟郎と片岡千恵蔵皮肉なことに両者は大きく道を隔てる

 

 

皮肉なことに1958年は日本映画最大の黄金期でもっとも多くの観客動員を記録した、華やかなときに西悟郎はひっそりと映画界を後にしました。

 


西悟郎が戦前から戦後にかけてもっとも音楽を手掛けてコンビを組んだ片岡千恵蔵は、この1958年に多彩な数多くの長年の功績が評価され、日本映画で初の正式な映画の生涯功労賞でもある「牧野省三賞」を日本映画界でもっとも多くのライバルが存在した最大の黄金期に第1回で受賞。ちなみの第2回は片岡千恵蔵とのコンビなどで数十作の膨大なヒット作を残した東映大映画プロデューサーの玉木潤一郎でした。

 

皮肉なことに両者は大きく道を分けてしまいました。

 

 

 

国士無双 [レンタル落ち]

 

西悟郎は関わってはいませんが、千恵蔵つながりで一つ、片岡千恵蔵の最低でも200作とも言われる主な代表作の一つの上位とされ、1932年『国士無双(1932)』を代表格とする主演の片岡千恵蔵×監督の伊丹万作によるナンセンス時代劇は映画評論家たちに高い支持を受け、のちの映画監督を目指す青年たちにも影響を与え、のちの東宝の喜劇時代劇映画の形成にも大きな影響を与えています。

 

それまでになかった時代劇映画の新たな可能性の伸びしろ、俳優の演技や製作側の創作の幅を大幅に飛躍的に向上させたのです。

 

 

1932年当時の証言が残ってるだけでも異例ですが、証言が残されているだけでも市川崑(歴代でもトップともいえる多彩なジャンルで代表作を残した巨匠)や森一生(日本歴代の映像化監督の名手)などの映画監督に影響を与えた名作が、1986年に中井貴一の主演映画『国士無双(1986)』としてリメイクされました。リメイクは話の筋以外はだいぶ違うものにはなりましたが、「国士無双」はこのリメイク作以前にもテレビドラマでは何度も映像化されていましたが、同タイトルとしては驚異的な54年ぶりの映画化でした。