映画を極めろ一直線女子の究極裏道

「口も八丁 手も八丁 俺は天下の豪傑だ!」      あなたもキミも ついでに赤ちゃん そしてわたし 世の中にのさばる悪党を裁き成敗する国士たち     国賊裁き天下を動かす用心棒なのだ!?

「テレビで実現せずに消滅した”映画23作の盟友・河野寿一と東千代之介の名コンビ”の裏」人生も映画も、山あり、谷ありのデコボコ道、ピークについて

重ねていくということは同時に自分を苦しめていくことだとブログを書いていると感じられます。

 

映画道を極める一直線女子 テレビで実現せずに消滅した”映画23作の盟友・河野寿一と東千代之介の名コンビ”を公開いたしました。

 

映画という世界は本当に深い世界です。1899年に最初の日本映画が作られてから、作品に関わった人物は日本だけでも何万、数十万、それ以上になるのかもしれません。

 

人数があるように、東千代之介に関してもさまざまな取上げ方ができますし、さまざまな特徴が存在しています。

 

東千代之介は、日本の歴代でも上位に含まれるほどに、ピークが短かった映画スターともいえるでしょう。1954年の1年目にいきなり大ブレイクして、バンバン主演作を重ねていきましたが、主演スターとしてのピークは5年から6年の範囲で大きく減少してしまいます。

 

主演スターとしての大ブレイクまでは、最近まで生きていた俳優でいうと高倉健が8年ほど、菅原文太が12年ほどの期間を費やしてることから東千代之介は1年目であり、早期ブレイクは明らかです。

 

1950年代の後半から1960年代に入ると、先輩のスター俳優(片岡千恵蔵市川右太衛門、大友柳太朗、美空ひばりなど)や後輩(若山富三郎里見浩太朗(当時・郎))などの2番手や3番手が増えていく状況が存在しています。

 

もちろん、東千代之介や伏見扇太郎などを中心にした東映の数部作構成、1時間路線、冒険活劇路線などの多くの名称の衰退も影響しています。

 

美空ひばりは、歳は東千代之介のほうが上だが、芸歴はひばりの方が長い

 

東千代之介や伏見扇太郎の流れを改めて把握していると時代の流れと映画界のよい部分と厳しい部分を痛感させられますね。厳しい部分は大切です。

 

この厳しさが映画界の黄金期の形成を招いているからです。この厳しさがもたらす、よい部分の恩恵を受けて活躍した訳ですから、”人生と相通じる部分”を感じさせてくれます。

 

まさに人生も映画も、山あり、谷ありのデコボコ道のようです。

 

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