映画道を極める一直線女子 東宝の歴代ナンバーワン俳優の裏にうごめく知恵袋 フランスベテラン女優の面影を公開いたしました。
意外な関連として森繁久彌、そしてとあるフランスのベテラン女優を登場させていました。フランスを代表する国民的スターのアラン・ドロン(Alain Delon)とジャン・ポール・ベルモンド(Jean-Paul Belmondo)、顔芸の達人であり、フランスの国民的喜劇スターのルイ・ド・フュネス(Louis de Funès)もちょこっと登場しています。
宝塚や東宝のそのものが小林一三という超大物が創業に関与した会社であるため、現在も深い結びつきが存在しています。
宝塚は基本的に欧米の題材が中心ですが、東宝も欧米的な製作体制を取り入れてきました。また、海外作を風刺した作品が多いのもこの影響や小林一三の考えに影響されています。
ちなみにゴジラはキングコングが元になっています。『キングコング』(King Kong) は、1933年に初めて公開された巨大な怪物の猿を描いた特撮映画です。
映画に100本以上の出演を果たしたサイレント映画の大スター女優のフェイ・レイ(Fay Wray)を主演に制作されて、大当たりしました。目新しいものはいつの時代も話題作につながりやすいため、あまり内容に関係なく客が入ります。
東宝は巨大な怪物の猿を怪獣に風刺して『ゴジラ』を1954年に公開しました。特撮自体はそれ以前から戦争映画などの取り入れられるなどの数多くが存在していましたが、簡単に言ってしまえばそのままのパクリ疑惑を避けるため、キングコングをゴジラに変えました。
・『キングコング』(King Kong) はたった500円のワンコインで観られます。
<欧米好きな小林一三が見ることなかった夢の実現『キングコング対ゴジラ』>
まさに宝塚(東宝と同じ小林一三の創業)の題材の多く存在している欧米の題材を日本風に置き換えたものと良く似ています。その後、ゴジラシリーズの第3作『キングコング対ゴジラ』が東宝の制作で1962年に実現しました。RKO社とのライセンス提携したことにいり、互いのキャラクターが激突する作品が成立しました。
キングコングから考えられたゴジラは元のキャラクターと共演してしまったわけです。小林一三は自分の会社のゴジラと大好きだった欧米、アメリカの人気キャラクターの共演を喜んだことでしょう。ですが、この共演を見ることなく1957年に亡くなっています。
キングコングから作られたことは事実でもあり、悪く言ってしまえばパクリといわれてもしょうがないでしょう。現在や過去に中国や韓国が日本を真似してやってきたこと似ています。
日本のオリジナルは基本的に独自な題材やシステムで形成を帯びた時代劇だけなのです。
<小林一三が欧米を大好きだったことうぃお物語る証拠たち>
小林一三は欧米に視察に多く出かけていたといわれています。79歳, 欧米映画視察旅行のため渡米などの記録も残されている通り、欧米的な考え方が存在していました。
また、書籍には”『努力すれば偉くなれる 欧米の教育と日本の教育!』(ダイヤモンド社 1937年) ”
”1951年の欧米視察旅行記『私の見たアメリカ・ヨーロッパ』(要書房、1953年)”などが挙げられます。
こうした多角経営の現実は多様性があると勘違いされる方もいるかも知れませんが、それは現実には多様性があるように見せる仕掛けでもあったわけです。
<小林一三は異常な欧米かぶれで良き日本文化をぶち壊した疑い>
日本人なら日本の良さを海外に伝えて欲しい、ですが彼は違いました。欧米を日本に侵入させ取り込んだ男だったとも言える存在でした。
当然ながら一定の評価できる人物でもありますが、同時に都合がいいエンタメ映画作品ばかりが中心になってしまった現実は果たして良いことなのだろうか、エンタメは欧米ですが、娯楽は日本の良き部分です。意味は和訳にすれば同じでも実は違います。
さらにこの人の異常な欧米的な考え方が日本映画に欧米かぶれを拡大させ、都合がいいエンタメ映画作品ばかりの大きな悪影響を及ぼしているのではないだろうか。今回の表の森繁久彌とそれに関与させたフランスのベテラン女優のことを考えていて、ふと疑問を感じました。
小林一三は現代の一定の評価と同時に良き日本文化を急速にぶち壊した問題点を秘めていた人物だという捉え方もできます。
前回記事⇒裏側「6番手11人目が大川橋蔵のワケ 最大のライバルと勝負の行方」
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