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映画道を極める一直線女子 山中貞雄×大河内傳次郎 短命の大活躍の草間に恩師の顔を公開いたしました。
”大河内傳次郎と幻の名監督 ジョン・フォードやラオール・ウォルシュと映画100作”の題名の意味も含めて進めていきます。
石原裕次郎の記事は実膨大な量を他にも書いているのですが、前回でひとまず切る事にしました。また、放送の暴走などがあれば公開するかもしれません。
上記リンクの表側では山中貞雄や大河内傳次郎、山中貞雄、加藤泰、薩摩飛脚、さらに盤嶽の一生、鼠小僧次郎吉、丹下左膳、大佛次郎、大仏次郎、八尋不二、原節子??、満映映画などが登場しています。
大河内傳次郎の日活時代は巨匠には含まれない8名の名監督と縁
大河内傳次郎の日活時代(1926~1937年)は巨匠には含まれない8名の名監督と縁がありました。巨匠だけではなく、この名監督の部分も映画俳優の大きな評価になります。関わった順に高橋寿康、清瀬英次郎、辻吉郎、阿部豊、山本嘉次郎、滝沢英輔、山中貞雄、荒井良平です。
個人的にもいくつかの理由から辻吉郎、山本嘉次郎、滝沢英輔は名監督の扱いです。頭にこの3名はある種の巨匠の要素は存在していますが、山本嘉次郎は東宝やその前身のP.C.L.の喜劇映画や戦争映画で成功した監督ですが、P.C.L.が創立する前に活動していた映画会社が日活でした。
滝沢英輔は時代劇の名匠といわれ、日活の一筋を貫いた人物で多くの秀作、いくつかの名作、現代劇の大ヒット作を残しました。これらの名監督の中でも特に辻吉郎の存在は大きなものだと考えられます。
巨匠という基準と欧米映画、中国映画の暗躍する陰
大河内傳次郎がこれらの名監督とコンビを組んだときの巨匠という基準は今以上にあやふやな部分があります。大河内傳次郎がこれらの8監督と縁を持った1926年から1927年は賞という概念がほとんど存在しない時代でした。
そのため、代表作数や多くのトータル、有名題材、スターとのコンビなど多くの面で評価せざる得ないためです。
現在もトータルで評価すべきだと考えていますが、欧米や中国などの賞によって俳優や監督を日本以上に持ち上げていく方向も存在しています。映画愛子も中国の情報も多く見かけますが、中国は最近の20年ほどでさらに映画に関する賞が増えています。日本と同様に欧米の真似といえば真似なのでしょう。
ちょっと映画で活躍すれば、何かは手にできる状況になってしまっている部分は、いささか府に落ちない部分があります。中国の演技があまりできない若手から中堅にかけての俳優が10以上の賞を受賞している状況があるからです。
アメリカVS日本 監督数100作の現実 ジョン・フォード、ラオール・ウォルシュ、辻吉郎
監督数が100作以上なら巨匠という該当も一概に判断できない部分です。これはアメリカの100作を越す監督にも該当します。欧州の100作はほぼ存在していません。ですが70作以上はイタリアやフランスを中心に数名が存在しています。
ジョン・フォード、ラオール・ウォルシュは両者とも西部劇映画を数多く残しましたが、ジョン・フォードは100作を越し、多くの名作や影響力を誇る総合的なアメリカのナンバーワン映画監督と考えていますが、ラオール・ウォルシュも100作を越し、名作というよりは多くの秀作を多数残したことから巨匠だと考えられます。
ジョン・フォードのように長年にわたって名作を残していることも大事ですが、ラオール・ウォルシュにようにコツコツと長年にわたって膨大な秀作を残すことで、巨匠の概念に当てはめられる場合もあります。
アメリカはジョン・フォードやラオール・ウォルシュなど歴代で100作の映画を監督した人物は数えるほどしか存在していませんが、個人的に確認している限りの100作以上の日本の映画監督は30名近い人数が存在しています。大河内傳次郎とコンビを組んだ辻吉郎という監督も戦前のみの監督でしたが、ジョン・フォード、ラオール・ウォルシュと同様に100作を越しています。
”時代劇版シェーンという取上げ方”は日本映画がアメリカの真似をしてるように思えてしまい残念な表現です。長谷川伸の数多い代表作の1つの『沓掛時次郎(1929)』は辻吉郎と大河内傳次郎のコンビによって初めて映画化されました。
巨匠の可能性、名匠・辻吉郎と大河内傳次郎
大河内傳次郎は伊藤大輔とのコンビの1926年『長根』で評価を得て、国定忠治の股旅をそれまでのヒーロー映画としてではない部分にスポットを当てた名作『忠次旅日記』3部作などで大ブレイクを果たし、一方の辻吉郎はのちに時代劇映画に含まれる剣劇映画や忍術映画などで大衆的な支持を集めた尾上松之助の主演作を10作以上、大河内傳次郎のブレイク時のライバルの有力者の河部五郎の主演映画などを多く手がけました。また、他の日活の主力スター海江田譲二や沢田清の主演作も多数手がけています。
大河内傳次郎は山本嘉次郎と滝沢英輔の監督作には1作のみの主演でしたが、辻吉郎の作品へは5作、縮刷版を含めると7作に出演主演を果たしています。
*辻吉郎 剣劇映画から庶民や弱者にスポットを当てたヒーロー以外を描いた新しい時代劇映画の形成に挑戦した名匠の1人
・辻吉郎と大河内傳次郎のコンビ作
1927『槍供養(1927) 』 *大河内は槍職人で主演
1927『槍供養(縮刷版) 』
1929『沓掛時次郎(1929)』*大河内は沓掛時次郎で主演
1929『血煙荒神山』 *大河内は吉良の仁吉、清水次郎長の2役
1929『血煙荒神山(縮刷版)』
1931『荒木又右衛門(1931)』大河内は荒木又右衛門で主演
1932『三万両五十三次 江戸明暗篇』
<槍供養>
『槍供養(1927) 』は当時の概念として名作ともいえる作品です。ですが、完全なオリジナル版は視聴ができずに『槍供養(縮刷版) 』が残させています。
個人的にも視聴していますが、大河内傳次郎が演じる槍持ちが赤穂浪士候補の男たちのために命をかけて尽くす映画です。その中である悲劇がやってきます。その運命と赤穂浪士候補の男たちとの交差を描いています。
かなり精神性が高い作品で、1この映画以前から存在する刀を振り回すことを主とした剣戟映画ではなく、悲哀を描いた時代劇映画として完成していると感じられました。昔に見ていてもかなり印象に残る作品であり、槍供養の題名の意味は終盤に明かされます。
『槍供養(1927) 』は当時も高い評価を得たことが伺えますが、それは辻吉郎の本人によるリメイク作が作られている点からも挙げられます。大河内傳次郎の日活の後輩スターの尾上菊太郎を主演にした『槍供養(1934) 』で、映画の上映分数も20分ほどは長くなっています。
尾上菊太郎は 尾上菊五郎、と太と五の部分が一文字違いのため、間違えられがちですが、歌舞伎俳優ではなく、時代劇映画で活躍した俳優でした。映画は時代劇を中心に戦前と戦後を通じて200作以上に出演している有名な名優です。
貴重な『槍供養(1927) 』のパンフレットが残されています。他にも「旅姿桂小五郎」などの気になるタイトルが・・・
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