映画を極めろ一直線女子 無職無双大願 可愛い子供たちと美人妻の極楽創作漬け監督人生を公開いたしました。
今回は無職映画監督 個人映画特集:2 森紅・服部茂作品集 四天王寺 森展利二歳 スケッチ 或る日の母 淀川公園にて露子つ多子 散策の榮子 SF/怪獣映画の世界 NFCコレクションでみる日本映画の歴史 アマチュア映画監督 今日の佛事 納骨の日 別府のお父さんに逢ふて来ます 寂光 森紅小品集 父の面影 佛事 服部茂 森紅 発掘 骨董 マキノ省三が登場しています。
今回は「W父親W息子 無職映画監督が家族3代作品に魅せた到達と集大成」と題して進展していきます。」
服部茂名義ある種の集大成『私の子供』
東京国立近代美術館フィルムセンターの上映企画「発掘された映画たち2018」(Cinema: Lost and Found 2018)の「個人映画特集:2 森紅・服部茂作品集」の上映の服部茂の名義映画たち
・服部茂の名義
『私の子供』 6分 1934 ドキュメンタリー
『忍術三太郎』 8分 1927 現代劇
『學生スポーツ劇 若き日』 15分 1927 現代劇
『彌次喜多 散歩の巻』 6分 時代劇要素を持つ現代劇 1928
『喜劇 ホイホイ先生 海岸の巻』 4分 製作年不詳 現代劇
『さくら』 4分 1938 ドキュメンタリー
前回の表記事⇒映画を極めろ一直線女子 無職勇者の生涯破天荒監督 傑作納骨映画の奇々怪々真実とも関連がありますが、服部茂名義の『私の子供』の完成には父親の存在が大きな意味があると考えられます。父親、どんな映画監督でも人間でも父親の影響を受けない人間は存在しないでしょう。孤児で育ったなら父親との面識さえもないまま大人になるかもしれませんが、普通な環境に人間は成長の上で多くの人がその影を見ています。森紅名義同様に父親がキーワードになります。
父親の死までの流れを映画化した『別府のお父さんに逢ふて来ます』、『寂光』、『納骨の日』はある種の”森紅の亡き父親三部作”といえるかもしれません(自称ですが)。
この3作、表のほうでも取り上げていますが個人的には『納骨の日』が自身の作家性を高めたという点で重要な意味を持っていたのではないかと考えています。亡き父親三部作の流れや『納骨の日』の存在が服部茂名義の『私の子供』の完成につながったことは言うまでもありません。
「個人映画特集:2 森紅・服部茂作品集」で上映された森紅の作品群
・森紅名義
『今日の佛事』 7分 1930 ドキュメンタリー
『納骨の日』 10分 1930年代初頭 ドキュメンタリー
『別府のお父さんに逢ふて来ます』 14分 1930頃 ドキュメンタリー
『寂光』 13分 1930頃 ドキュメンタリー
『森紅小品集』 4分 1932 ドキュメンタリー
5
・服部茂の名義
『私の子供』 6分 1934 ドキュメンタリー
『忍術三太郎』 8分 1927 現代劇
『學生スポーツ劇 若き日』 15分 1927 現代劇 上記写真の劇中の一部分はこの作品からポスターに載った。
『彌次喜多 散歩の巻』 6分 時代劇要素を持つ現代劇 1928
『喜劇 ホイホイ先生 海岸の巻』 4分 製作年不詳 現代劇
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『さくら』 4分 1938 ドキュメンタリー
11
上記作品には森紅&服部茂に関するとある謎が隠されています。こちらには入らないためこれから下記のサイトで公開します。
30分後に公開予定
森紅名義の5作が”父の面影”の理由の到達点が服部茂名義の代表作を形成
表の記事で取り上げた”森紅名義の5作が”父の面影”の理由”には『私の子供』につながる続きがあります。それは下記をご覧ください。
森紅名義から服部茂名義の”父の面影”の継承と到達(=の⇒部分、だから統一)全てドキュメンタリー
・森紅名義
『今日の佛事』 父の面影=父の死から生まれた映画だから
『納骨の日』 父の面影=父の死から生まれた映画だから
『別府のお父さんに逢ふて来ます』 父の面影=父の元へお見舞いに出かけることから生まれた映画だから
『寂光』 父の面影=父の死から生まれた映画だから
『森紅小品集』 父の面影=父の存在感を写された家族に感じる映画だから
↓ ↓ ↓
・服部茂名義
『私の子供』 6分 1934 (到達点) 父の面影=自分の子供を記録することで父への敬意や感謝を感じさせる。そして将来家族に見てほしい気持ちなど
『私の子供』の内容はハイハイする子供の姿を撮影していたり、テロップを表示された映画なワケですが、上記の『私の子供』の父の面影=に書いている通り、 自分の子供を記録することで父への敬意や感謝を感じさせ、そして将来に記録映画を見るかもしれない家族に『私の子供』観てほしい気持ちが感じられます。
作品は父親の深い愛情を感じさせてくれます。ここで自分の父とつながります。自分が息子だったときと自分が父親になったとき、ここで自分と父親がさらにつながりました。そうした部分が評価されて、ノミネートのみではありましたが、バルセロナの短編映画祭でも評価されたと考えられます。
1000ピース ジグソーパズル サグラダファミリア (ガウディ作品群) コンパクトピース(38x53cm)
服部茂がノミネートしたバルセロナの短編映画祭が開かれた国スペンの象徴的な建築の一つのサグラダ・ファミリア、2026年に完成予定とされています。
あの小津安二郎も選ばれなかったのに服部茂はノミネートされたレジェンドの称号
ここで一つ、重要な部分なので触れさせていただきますが、1930年代に当時海外で日本映画がノミネートされることはたとえアマチュアの短編映画であっても現代よりも何段も意味があることであり、大きな評価です。もちろん最大の黄金期といわれる日本映画の1950年代よりも価値があることです。
この頃の一般の日本映画は純粋に内容が良い作品よりも海外受けしそうな若めの監督の作品を中心に代表作品に選定している傾向がありました。若くて優遇された小林正樹、黒澤明などがその代表格です。さらに前衛やアート要素が強め作品ばかりが選ばれて、娯楽作の名作群はほぼ排除されていました。現在以上に偏りすぎた選定でした。
現在では日本の歴代1位扱いされている小津安二郎も当時、海外で受け入れるわけがない作品や監督だと決め付けられ、評論家や文化人に考えられており、海外賞ノミネートの日本の代表に選ばれることはほぼありませんでした。
服部茂は『私の子供』で1930年代前半のバルセロナの短編映画祭にノミネートされており、これを実現された服部茂は間違いなく、ある種の映画界のレジェンドの一人でした。
今の日本人の監督は海外にノミネートされても一概に評価できません。映画黄金期からすると日本も海外も含めた映画自体のレベルは技術が進歩しているのみで低迷していると考えていますから。映画表現の技術の進歩はあくまでその時代なりの変化に過ぎないことからそのまま評価できません。
名前は出しませんが、彼は低迷する日本映画や海外映画の低い競争力の中で優遇されている部分もあり、純粋に評価すべきか正直疑問の的です。
W父親W息子 無職監督が家族3代映画に魅せた到達と集大成の記事タイトルの解説
*記事タイトルのW父親W息子 無職映画監督が家族3代作品に魅せた到達と集大成の意味紹介
W父親=W息子
W父親(服部茂の父と『私の子供』などに登場した子供たちの父となった服部茂)
W息子(息子の服部茂と『私の子供』などに登場した服部茂の息子たち)