NHKの『日本人が最も愛した男・石原裕次郎』過剰な煽り番組は問題だらけ
映画道を極める一直線女子 【ハリウッド不可能】石原裕次郎と大河内傳次郎と片岡千恵蔵 時代超越 日活3大激突を公開しました。
今回は石原裕次郎 尾上松之助 日本人が最も愛した男・石原裕次郎 時代劇六大スター 石原まき子 若桜千両槍 河野寿一 沢田清 笹野権三郎 結束信二 高田又兵衛 東千代之介 槍の又兵衛 槍もの時代劇映画 そして、片岡千恵蔵 大河内傳次郎などが中心に登場しています。
今回は久しぶりに痛烈な映画業界やテレビへの批判を展開していこうと思います。これも映画界のためだと思い苦渋の選択を致しました。テレビが都合がいい人間だけを優遇して、過去の映画人を公平に取上げないことは日本映画界の最大級の悲劇です。
NHKの『日本人が最も愛した男・石原裕次郎』過剰な煽り番組は問題だらけ
NHK BSプレミアムで放送された『日本人が最も愛した男・石原裕次郎』という過剰な煽りタイトルの番組は問題を感じました。彼も活躍した一人でしたが、”最も愛した”の決め付けは大きな問題であり、いくつかの項目のみを紹介してこれを決めるのは有り得ません。
石原裕次郎は1957年から1962年までは最大のピークがあった映画俳優であり、部分的になら上位もありますが、総合的には上位とは考えられない部分が多々みられます。最近の外国映画ばかりしか紹介していない若い映画評論家は勉強できていない部分と考えられますが、これは映画に詳しい人間なら最低限で基本的な知識です。
個人的にも彼の歌を多く知っていますが、 歌手としては世の中でもっとも多い、一方向の歌い方で知られています。歌手として重要な多彩さは演技と同様にありませんでした。ですが、彼が生きていれば同世代の現在の80代や一世代の70代を中心に愛された人物に一つでした。
俳優としては多くの挫折がありましたが、歌手としては一方向でも挫折がなく歌手として成功したのが石原裕次郎でした。
”時代劇は劇”であり、ドキュメンタリーではないので、最初から製作者たちが史実をリスペクトしながら虚構を含むのは当たり前の行為です。なので視聴する時点で事実と異なることを頭に入れておくのが最初から当たり前です。なのでこの本の様に嘘はついていませんし、嘘とは言わないと考えています。
観客動員は映画俳優の評価の数十のうちのひとつ
残念ながら石原裕次郎は、映画で観客動員以外では上位がほとんどありません。知名度はテレビやマスコミがテレビ関係者を優遇して取上げられることで、いくらでも上昇や維持ができるのため、最初から映画俳優の評価の対象に含まれません。←ココが重要
テレビやマスコミは現在もこのまやかしを有効活用しています。
同期の数多くの俳優が受賞する中、若手が優遇されてもらえる演技の映画賞だったにも関わらず、ほとんど縁がありませんでした。もちろんですが俳優の評価は映画賞だけでも決まりませんし、観客動員だけでも決まりません。映画俳優の評価は数十の項目の総合的なものだからです。
石原裕次郎は当時の映画スターとしては代表作が少なく、演技は現代でいう俳優の真似事をする演技に該当し、巨匠とコンビは戦後の活躍した映画スターの中でも最下位の方だと判断しています。
これは個人的な意見ではなく、当時の映画評論家からも同様に全然評価されていません。個人的にも映画も数多く見ていますが、彼は文芸作にも多く出演していますが演技が変に浮いてしまい、アクション映画のみで良い演技をしているものを確認してます。アクション映画の演技は比較的に動ければいいので、下手でもいくらでもごまかしが利きます。
さらに石原裕次郎は高倉健と通じています。それは一つも明確な有名な役名の当たり役がありませんでした。
ですが、高倉健は巨匠・内田吐夢の「宮本武蔵5部作」で佐々木小次郎を助演で3度演じている点で石原裕次郎は上回っているのかもしれません。さらに評価は得られませんでしたが、最初の「ゴルゴ13」や”東映の現代劇映画時代に高倉健の直属の先輩”だった、片岡千恵蔵の時代劇映画の代表作の一つの忠臣蔵を題材にした『四十七人の刺客』(東宝、1994、監督・市川崑) に主演しました。生涯の206作の映画出演の中でこれが彼の唯一の時代劇映画の主演作でした。
~上記補足~
”東映の現代劇映画時代に高倉健の直属の先輩”=戦後の片岡千恵蔵は1947年に大映創立時の「大映4大スター」であり、1948年に東映の前身の東横映画へ正式移籍し東横のトップ、大映4大スター崩壊、1951年の東映の創立時のトップ、さらに1950年代中盤から1960年代前半の黄金期の形成を牽引した時代劇映画と現代劇映画の両輪のトップスター。
時代劇(萬屋錦之介、大川橋蔵、東千代之介、大友柳太朗など)と
現代劇(高倉健、鶴田浩二、菅原文太、松方弘樹、丹波哲郎など)、
超大物、他の大物の後輩が大多数。また別な機会に取上げたいところですが、戦前を含めたらさらに10名ほど増えます。現役含めて30名ほどの大物の後輩がいました。ちなみに仲代達矢の大物といえる後輩は役所広司のただ1人だけです。
2017年時点の現役では時代劇は里見浩太朗、現代劇は千葉真一や北大路欣也、梅宮辰夫、藤純子(現・富司純子)、佐久間良子、三田佳子、2017年に死去した渡瀬恒彦は年齢的に直接な最後の後輩。渡瀬恒彦はもう何年も前ですが、生前にテレビ番組の「徹子の部屋」で片岡千恵蔵のことを話していました。これがかなり印象に残りました。
こうした後輩への大きな影響の部分は石原裕次郎の石原プロも事実上の影響を受けていますが、石原プロは大物といえるクラスは渡哲也だけであり、東映の片岡千恵蔵と比較すると10倍以上であり、差は歴然です。
*「大映4大スター」=片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、阪東妻三郎、市川右太衛門、1942年の大映の創立時から最初の黄金期、事実上の第一次トップ体制は1942~1948まで続いた。
高倉健の念願の大石内蔵助と石原裕次郎の藤堂俊介(通称・ボス)
高倉健は『四十七人の刺客』で、念願の大石内蔵助を1作のみ演じています。高倉健は時代劇の演技は彼なりに考えたのでしょうが、なかなか乗りこなせない部分がありました。当たり役といえないと判断しています。たとえこれらを当たり役に含んだとしても、たった数本のみであり極端に少数です。
石原裕次郎は有名な役柄は、テレビドラマの『太陽にほえろ!』で事実上の助演の藤堂俊介(通称・ボス)のみであり、残念ながら映画では”明確な当たり役”が一つもありませんでした。当たり役は映画スターの大きな評価の一つです。それがなかったのが石原裕次郎です。
石原裕次郎と高倉健は映画で1作も共演作がありませんでしたが、こうした同じCDに名前を連ねるなど、歌手としてのみで競演しています。
つづく