今回の映画を極めろ一直線女子 吉本興業芸人暴動&SMAP解散&NGT48騒動交差 90年前の親会社騒動と吉本歴代映画金星を公開いたしました。
裏側の新記事とは関連はありません。今回も裏側は裏側の流れを重視して展開しています。
今回の上記リンク先は、マキノ省三、尾上松之助、国民的映画スター、時代劇六大スター、SMAP、ジャニーズ事務所、NGT48、AKBグループ、マキノプロダクション、マキノオールスター、大石内蔵之助 服部一郎右衛門、萱野三平 脇坂淡路守、寺坂吉右衛門 月形龍之介 清水一角 大石主税 元子役スター マキノ正博 マキノ雅弘 東映の大プロデューサー 玉木潤一郎、伊井蓉峰、牧野省三、忠魂義烈 実録忠臣蔵、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、阪東妻三郎、日活三大スター、エンタツ・アチャコの人生は六十一から、人生は六十一、喜劇の神様、吉本興業 お父さんはお人好しシリーズ 伴淳三郎 二等兵物語シリーズ 水戸黄門漫遊記(1938)、水戸黄門漫遊記 東海道の巻、水戸黄門漫遊記 日本晴れの巻、斉藤寅次郎 横山エンタツ 花菱アチャコ 水戸黄門 活弁士 徳川夢声などが登場しています。
二大巨塔 没後30年美空ひばりと映画界の天皇と呼ばれた男の稀代映画伝説
2019年で没後30年の日本芸能史で上位の大スターの一人の美空ひばり(病死、1989年没)も巨匠渡辺邦男(映画監督数230作を越す戦前と戦後で活躍し幅広く数多く記録を残した大巨匠)の映画に多数出演しています。そこやそれまでいくつかの伝説が存在しています。
この記事の前回の流れ ↓
美空ひばりと知られざる世界記録上位の現実 映画ヒロイン数世界ベスト3
美空ひばりは戦後の世界の女優の映画主演数で世界最多数1位を誇ります。美空ひばりの映画主演数は1949年~1974年の約25年間で113作にのぼり、出演数は170作弱です。これは当然ながら男性俳優に次ぐ、添え役的なヒロイン数を含まない数です。
25年以上の主演数を積む俳優は数多くいるため、年数のみはたいしたことがありませんが、ここで注目すべきは、美空ひばりが映画出演作のほとんどで主要キャストのみで170作弱に到達した点も十分に大記録ですが、これだけなら歴代に数十名いますから、やはり戦後のみで出演25年主演113作という部分です。113作という主演本数は戦前と戦後を通じた男性俳優だけでも歴代で30名強しかいません。
添え役的なヒロイン数は22作で、映画主演数を足すと添え役的なヒロイン数と主演をヒロインとした場合の通産ヒロイン数は135作となります。これも世界の女優の映画ヒロイン数で世界最多数だと考えられます。ヒロイン数150以上の琴糸路や田中絹代や鈴木澄子の映画ヒロイン数世界ベスト3などよりは少ないですが、これはギネス記録2位のメアリー・ピックフォードを越すヒロイン数の大記録です。
あまり知られていませんが、美空ひばりは歌手では世界的な記録はありませんが、映画では世界的な記録が存在しています。
映画の大スターでもあった美空ひばりと生前の沢島忠談によると天皇の愛称で知られていた巨匠の渡辺邦男に大きな縁がありました。
沢島忠=任侠映画の形成に大関与や東映の明朗歌謡時代劇を牽引、大まかには東映の三大スターの美空ひばりや中村錦之助(萬屋錦之介)、鶴田浩二との3名のコンビで成功した巨匠
美空ひばりの映画デビューは有名です。『のど自慢狂時代』です。東映の事実上の生みの親ともいわれる大映画プロデューサーの牧野満男(のちのマキノ光雄)が制作を手掛け、松竹や東宝中心で活躍した喜劇映画の巨匠の斎藤寅次郎が監督、名音楽家の古関裕而などが制作した『のど自慢狂時代』(1949年3月公開 制作=東横映画(1951から東映)、配給=大映)で映画デビュー(助演デビュー)、この映画は喜劇人と有名歌手が多数出演、同時に初のオールスター映画(小規模)の出演でした。
最初の主演は出演5作目の1949年10月の自身による名曲を題材にした歌謡映画『悲しき口笛』です。
『のど自慢狂時代』の有名出演者のみ表記
喜劇演劇要員=花菱アチャコ、渡辺篤、清川虹子、杉狂児、江戸川乱子
歌手要員=並木路子、灰田勝彦、美空ひばり、美ち奴
音楽家=古賀政男
このとき11歳の映画俳優としてはぎりぎりの子役であり、斎藤寅次郎が美空ひばりの少女歌手としてブレイクしていたときに目に掛けて、映画デビューの流れになったことは有名です。
斎藤寅次郎という人物も数多くの発掘の目利きを行ってきた人物で、美空ひばりの映画デビューは彼でなかったとしても時間の問題だったといえるでしょうが、映画でも1950年代中盤から大スターへと成長したことで彼の実積の一つともなりました。あまり取り上げることがありませんが、同時に牧野満男の実積ともいえるでしょう、彼が許可してが映画出演が決定したからです。このことは忘れてはいけない事実です。 美空ひばりの映画スターのスタートは事実上の2人の恩師がいたわけです。
1949年は新東宝(まだ配給は東宝の時期)と松竹映画に出演しながら、1950年9月~1955までの約5年間を松竹中心、1954年に東映時代劇映画『唄しぐれ おしどり若衆』(監督は娯楽映画巨匠の佐々木康、当時は東映の新人主演スターの中村錦之助とダブル主演)で東映に初出演、
1954年は東映と松竹に出演、1955年に東映へ根を下ろし、1966年までの約11年間を東映を中心にして映画女優としての活動をしていく事になりました。美空ひばりは東映に在籍しているときに日本映画の最大の黄金期といわれる1955~1961年を迎えました。
貴重な1954年『唄しぐれ おしどり若衆』のパンフレット
渡辺邦男と美空ひばりの最初の出会いは1950年4月公開の『エノケンの底抜け大放送』(映画出演通産12作目、製作=新東宝とエノケンプロ、配給=東宝 喜劇王こと榎本健一が主演)が最初でした。あの美空ひばりが今では考えられないと想われますが、脇役の靴みがきの役柄です。渡辺邦男はエノケンこと榎本健一とも名コンビを形成(コンビ数16、1938~1962、主演13、助演3)していますが、このコンビ作通算8作目で初めて美空ひばりを出演させました。
1950『エノケンの底抜け大放送』 新東宝とノケンプロ、配給=東宝 助演の脇役 *唯一のコンビ助演、榎本健一主演
1956『鬼姫競艶録』 新東宝 *コンビで初主演、初のコンビ時代劇 主演 *ひばりが映画でも大スターになって初のコンビ
1957『ひばりの三役 競艶雪之丞変化』 新東宝 *初で最後の前後作 主演
1957『ひばりの三役 競艶雪之丞変化 後篇』 新東宝 主演
1958『女ざむらい只今参上』 松竹 主演 松竹唯一のコンビ作
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1958『おこんの初恋 花嫁七変化』 東映 *東映で唯一の時代劇、コンビ最後の時代劇 主演
1961『ひばり民謡の旅 べらんめえ芸者佐渡へ行く』 ニュー東映(東映) 民謡シリーズ1作目&べらんめえシリーズ6作目 主演
1962『べらんめえ芸者と大阪娘』 東映 べらんめえシリーズ8作目 主演
1962『民謡の旅・桜島 おてもやん』 東映 正式には民謡シリーズ2作目(別説には3作目) 主演
1962『三百六十五夜』 東映 主演 *コンビ数は助演含め通産10本目
10
1962『ひばりの佐渡情話』 東映 主演 *主演10本目の大台に到達
1963『べらんめえ芸者と丁稚社長』 東映 べらんめえシリーズの最終10作目 主演
1963『民謡の旅 秋田おばこ』 東映 正式には民謡シリーズ3作目(別説には4作目) 主演 *出演コンビ13、主演コンビ12本目の最後、最後の現代劇作品
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時代劇映画のコンビ作 5作
1956『鬼姫競艶録』 新東宝 *コンビで初主演、初のコンビ時代劇 主演
1957『ひばりの三役 競艶雪之丞変化』 新東宝 *初の前後作以上、個々では2作 主演
1957『ひばりの三役 競艶雪之丞変化 後篇』 新東宝 主演
1958『女ざむらい只今参上』 松竹 主演
1958『おこんの初恋 花嫁七変化』 東映 *コンビ最後の時代劇 主演
実は上記の流れを見ていただくとあることがわかると思います。渡辺邦男と美空ひばりの通産コンビ13作(主演12、助演1)、主演コンビ12作の最初は時代劇で、1956『鬼姫競艶録』~1958『女ざむらい只今参上』 の1~4作の連続、その後はコンビ5本目の1958『おこんの初恋 花嫁七変化』までが連続で時代劇、
その後は全て現代劇となり、東映傘下のニュー東映の初期作品として作られた1961『ひばり民謡の旅 べらんめえ芸者佐渡へ行く』 ~1963『民謡の旅 秋田おばこ』の主演コンビ6~12本目まで全てが現代劇です。
最初は時代劇、途中から現代劇中心になっています。美空ひばりと渡辺邦男は東映の現代劇映画要員としてコンビを組ませたといえるでしょう。さらに渡辺邦男と美空ひばりのコンビの東映作品の時代劇は1958『おこんの初恋 花嫁七変化』の1作のみしかありませんでした。全12作の主演コンビ中、時代劇は新東宝3本、松竹1本、東映1があるだけ、この部分も多きな特徴といえるでしょう。
渡辺邦男と美空ひばりの唯一の松竹映画となった1958『女ざむらい只今参上』です。音楽は2大映画音楽家の山田栄一と万城目正の2名が手掛けた部分も特徴的です。