映画道を極める一直線女子の裏話

愛子による「映画道を極める一直線女子」の裏話ブログです。こぼれ話や感想などを書いていきます。

裏の顔『地獄の裁きは俺がする』から察する松方弘樹と戦後を代表する名プログラムピクチャー

 

 

映画道を極める一直線女子 大ヒット『地獄の裁きは俺がする』から察する松方弘樹の存在価値を探れ!!を公開いたしました。

 

<戦後を代表する名プログラムピクチャー・小沢茂弘と片岡千恵蔵の名コンビ>


『地獄の裁きは俺がする』は千恵蔵のギャングシリーズは通産で23作の19作目に該当し、千恵蔵のオールスターのギャング映画としては11作目、地獄シリーズとしては7作目に該当、また、東映の黄金期を支えた名プログラムピクチャー・小沢茂弘との地獄シリーズでは4作目です。


片岡千恵蔵は戦前から数多くのコンビを形成していますが、最後の7人目で”10作以上の主演×監督の名コンビ”を形成した監督が小沢茂弘でした。

 

 片岡千恵蔵は映画の主演俳優として歴代1位の7名と10作以上の名コンビを形成

*名プログラムピクチャー=作家性をあまり出さない映像化を行う名監督

 

 

<戦後のデビューした映画監督でアレが1位の小沢茂弘>

 

小沢茂弘は112つの映画監督作があります。渡辺邦男やマキノ雅弘などから引き継いだとも言える早撮りが魅力であり、現代劇と時代劇の映画を安定して数多く撮影した監督でした。

 


戦後デビューの一般映画の監督では映画本数が歴代1位の本数であり、世界の映画界に誇れる数です。2位は日活やフリーで活躍した井上梅次(日本のみでカウント)でした。

 

小沢茂弘の戦後の112つの映画本数は、戦前から活動中の映画監督を含めると渡辺邦男、マキノ雅弘マキノ正博)、佐々木康の巨匠に次ぐ4位(戦後デビュー以外も含む)でした。

 

 

<『地獄の裁きは俺がする』の流れの総括>


今回は松方弘樹の『地獄の裁きは俺がする』を中心的に松方弘樹の存在価値、その作品に関連する小沢茂弘について取り上げましたが、『地獄の裁きは俺がする』は松方弘樹にとって初の現代劇映画のオールスターは出演作でした。

 

戦後デビューの一般映画の監督で歴代1位の記録を持つ人物の小沢茂弘と関与していたことも映画時代の実積となるでしょう。

 

 

<『俺は地獄の手品師だ』の謎が深まるしおり=???>

 

当たり役や多くの異名の一つである”二丁拳銃の男”の片岡千恵蔵鶴田浩二高倉健の3人目までは下の写真から楽に分かるのですが、4人目は中村賀津雄か江原真二郎、水木襄かな。「よくわかりません」のお手上げ状態。それほどに当時の写真映りは現代以上にマジックでした。

 

 

1961年東映作品のしおりとあって、そうです。しおりはまさにパンフレットのことを指しているのです。しおり=パンフレットの時代、ノスタルジーな良さが伺えます。

 

1960年『二発目は地獄行きだぜ』に次いで作られた千恵蔵のギャングシリーズ14作目が、1961年『俺が地獄の手品師だ』でした。

 

しかし、『二発目は地獄行きだぜ』と同様にタイトルのセンスがすばらしかった。当時の東映の関係者によって考えられたことでしょうが、企画が戦後を代表する名製作者で大ヒットメーカーの玉木潤一郎です。証言がないので不明ですが、玉木潤一郎がタイトルを考えていた可能性もありそうです。