裏側「6番手11人目が大川橋蔵のワケ 最大のライバルと勝負の行方」
映画道を極める一直線女子 6番手11人目が大川橋蔵のワケ 最大のライバルと勝負の行方
を公開いたしました。
上記のリンクで登場している通称・”新吾もの”シリーズは、全般的に二つのシリーズ、外伝作が存在していました。新吾十番勝負シリーズから始まる”新吾ものの新吾は、そのまま大川橋蔵が演じた主人公の葵新吾を指しています。
前期の新吾十番勝負シリーズと後期の新吾二十番勝負シリーズです。全9作中、8作で巨匠・松田定次が手がけていました。『新吾十番勝負』と『新吾十番勝負 第二部』を掛け合わせた『新吾十番勝負 第一部・第二部(総集版)』が存在していることから映画愛子的にトータルは8作ではなく、9作説を推奨しています。
<新吾ものシリーズ 1959~1964 全9作 全て東映京都>
・新吾十番勝負シリーズ 1959~1960
1『新吾十番勝負』 監督・松田定次
2『新吾十番勝負 第二部』 監督・小沢茂弘
3『新吾十番勝負 第一部・第二部(総集版)』 監督・松田定次、小沢茂弘
4『新吾十番勝負 第三部』 監督・松田定次
5『新吾十番勝負 完結篇』 監督・松田定次
・新吾二十番勝負シリーズ 1961~1963
6『新吾二十番勝負』 監督・松田定次
7『新吾二十番勝負 第二部』 監督・松田定次
8『新吾二十番勝負 完結篇』 監督・松田定次
9『新吾番外勝負』 1964 監督・松田定次 (新吾ものの番外編であり、事実上の9作目)
東映映画以前は大映映画とも縁があった原作者の川口松太郎が脚本でも参加しました。
<松田定次と観客動員1億人を軽く上回る大成功から大川橋蔵との出会い>
松田定次は戦後110作近くの映画の監督を手がけ、オールスター作品を24作以上、トータルでは片岡千恵蔵と1928年から1963年まで出演48作強、主演46作強の名コンビ、市川右太衛門とは36作、主演27作の両御大と名コンビで黄金期のベスト10ランクイン作品だけも観客動員1億人を軽く上回る大成功を収めました。戦前や7年連続8億人の以外も含めれば2億を上回っている可能性も存在しています。
大川橋蔵とは1959年から主演コンビは12作で形成して成功を収めました。大川橋蔵の松田定次作品への初の出演作は超大ヒットを記録した、片岡千恵蔵の清水の次郎長『任侠清水港』の助演が最初でした。
その後も上記写真の大友柳太朗の代表的シリーズの1作目の『丹下左膳(1958)』や市川右太衛門の例が出演300作記念作品の『旗本退屈男(1958)』、片岡千恵蔵の『忠臣蔵 桜花の巻 菊花の巻』など数多くの大ヒット作に助演で出演、これらのオールスター作品などの助演での関わりが通産で8作続いた後、大川橋蔵の松田定次作品の初の主演映画は1959『新吾十番勝負』の1作目でした。
大川橋蔵は松田定次作品へ主演は12作でしたが、通産で29作の映画に出演しました。松田定次が主演でコンビを組んだ映画スターは戦後のみでは40作強の片岡千恵蔵、25作強の市川右太衛門、12作の大川橋蔵、同様に主演12作のコンビを組んだ大友柳太朗の4大スターが中心でした。松田定次が東映時代に監督した映画の主演俳優はほとんどが大スターであり、助演が中心の大俳優では月形龍之介を50作以上でもっとも多く起用しました。
大川橋蔵にとって松田定次という存在はやはり大きなものでした。最大の代表作といわれる『新吾十番勝負』シリーズから始まる新吾ものシリーズの映像化の生みの親だからです。2作目の『新吾十番勝負 第二部』の監督・小沢茂弘も1作目の松田定次の形成した世界の流れを引き継いだ映像化や内容を完成させており、その偉大さは明白です。
歴代の日本映画の作家の中でも映画化作品が150作を越している大巨人が吉川英治や大佛次郎(大仏次郎)、そして川口松太郎でした。これから出現する作者では到底及ぶことが困難な大功績を残しました。
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