裏面展開「映画出演270作の大俳優の代表作『怪猫』と『水戸黄門』と『静御前』をショベルカーする」
映画道を極める一直線女子 映画出演270作の大俳優の代表作『怪猫』と『水戸黄門』と『静御前』をショベルカーするを公開しました。
今回もさまざまな部分に踏み込んでいます。膨大な情報量だと自負しています。
こちらの記事で触れていない部分だけでも大映、新興キネマ、怪猫もの、佐賀怪猫伝、鈴木澄子、入江たか子、大河内伝次郎の最後の主演映画、木藤茂、溝口健二、毒蝮三太夫、牛原虚彦、森光子、松本泰輔、山田五十鈴、源義経、瞼の母(1931)、番場の忠太郎 瞼の母、国士無双、闇討渡世、弥太郎笠 去来の巻、弥太郎笠 独歩の巻、忠臣蔵映画、赤穂城、弥太郎笠(1955)、押本七之輔、森一生、松竹の現代劇の男性映画、怪猫謎の三味線、森静子、歌川絹枝、高山広子、浅香新八郎、林長二郎、高田浩吉、坂東好太郎、松竹時代劇三羽鴉、尾上栄五郎、伴淳三郎、梅村蓉子、嵐寛寿郎、嵐徳三郎、水戸黄門漫遊記 九紋龍之巻、水戸黄門 天下の大騒動、品川隆二、山城新伍、近衛十四郎、里見浩太朗、佐藤忠男、白井信太郎、マキノ省三賞、八尋不二、ショベルカーなどです。
何か興味をそそられる部分があればご覧いただけたら嬉しいです。
<大友柳太朗と主演100作で250作以上やその近辺>
大友柳太朗は通産で270作以上の映画に出演し、通産の主演作は110作を上回る大スターでした。海外の映画スターにも出演100作はたくさんいますが、主演100作で250作以上は残念ながら存在していません。
”戦後も大きく活躍した主演100作以上、通産で200作以上の映画出演俳優”の中では300作以上の片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、市川右太衛門、300作近い長谷川一夫、大河内伝次郎に次ぐ出演数です。映画出演数では鶴田浩二の260作強や田中絹代の約260作、森繁久彌の240作強を上回っています。これだけの部分でも大友柳太朗が映画界への大きな功績があったことがわかります。
『忍者秘帖 梟の城』(1963)は名匠・工藤栄一による忍者要素のある時代劇映画、時代劇のトップ会社の東映だからできる模索も垣間見られます。大友柳太朗の晩年の主演作、この時点で彼の主演映画は105作は越しています。
<悲劇 大スターもちゃんと取上げなければ薄れていく>
大友柳太朗の存在は先輩の片岡千恵蔵、市川右太衛門ら時代劇六大スターに比べると代表作や本数が圧倒的に劣っているのは事実であり、戦後の黄金期の存在感もメディアが話題にしやすい若手スターの中村錦之助や大川橋蔵などに奪われている傾向がありました。そのため、ちゃんと取上げられる機会が少ない人物です。今回もその取り上げられて来なかった部分に少しでも迫れたら幸いです。
<阪東妻三郎は戦後は・・・だった事実>
戦後も大きく活躍した主演100作以上、通産で200作以上の映画出演俳優の中に何故、阪東妻三郎が居ないのか、それにはちょっとした理由があります。
*阪東妻三郎の戦後は主演25作、出演30、代表作は10作に満たないため含んでいません。阪東妻三郎は戦前は時代劇六大スターの1人に数えられるなど、主演映画150作ほどの大きく活躍しましたが、残念ながら戦後にはあまり活躍したといえませんでした。マスコミなどはこうした部分に都合よく背けてしまいますが、植えつけられたイメージではなく事実はちゃんと伝えていくことも大切です。
「大友柳太朗 友の会」が存在していた。映画愛子もいろいろと知ってる方だと自負していますが、変人エピソードも数多く残されています。芸能なので枠にはまったような常人クラスではダメで、ある程度は変人くらいでないと大きな活躍できません。
大友柳太朗は戦後の主演作は75作ほどが確認(三船敏郎のトータル主演数とほぼ同じ)できますが、1947年の『天下の御意見番を意見する男』から戦後の主演作がスタートしています。この戦後の主演作に至るまでには”長い道のり”が存在していました。この後表の記事につながる流れです。
その表はこちらです。
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