映画道を極める一直線女子 池波正太郎の初の時代劇映画・維新の篝火と若山富三郎の極道シリーズの奇跡のクロスオーバーを公開しました。
上記のリンク先は池波正太郎の意外な真実と若山富三郎のまだまだ進められていないある部分に関しても取り上げています。
当ブログの裏話は前回の流れで月形龍之介と仲代達矢に関わる方向の記事を進めていきます。
<ヘンリー・フォンダやジョン・ウェインも登場、月形龍之介と”牧野省三賞”の存在>
月形龍之介が活躍した1920年代から1970年代の前半は映画俳優に文化勲章を与える概念が存在していませんでした。つまり昔の俳優の評価には賞は関係ありません。アメリカの歴代上位の映画スターのヘンリー・フォンダやジョン・ウェインなどもほとんど賞と関係がない時期に活動していました。
数少ない中でも日本にも映画界の生涯功労賞がありました。月形龍之介は映画界の生涯功労賞である京都映画祭の”牧野省三賞”を史上3人目で受賞していますが、当時の概念の影響でちゃんと賞を評される機会さえもほとんど存在していなかったのです。
牧野省三は日本の映像芸能の父、日本映画の最初の巨匠、日本映画の父、400作以上の映画の監督、尾上松之助との日本最初の映画の黄金コンビ、時代劇につながる剣戟映画を牽引し、のちの時代劇の形成につなげました。数多くの映画スターの卵や名・巨匠の卵を発掘、日本映画の基礎を形成した真の大人物です。
<日本アカデミー賞の前身・京都映画祭の生涯功労賞・牧野省三賞の第一回は片岡千恵蔵>
ちなみに京都映画祭が誕生した1958年の牧野省三賞の第一回が片岡千恵蔵であり、戦前から日本映画を牽引した功績、当たり役数、主演数や代表作数、貢献度だけではなく、周囲の評価的にも事実上のトップだったことを物語っており、一番に評価された存在であることを後世の残している記録の一つです。
京都映画祭は日本アカデミー賞の前身の役割を1958年から1970年代後半までの時期で担っていました。日本映画が生まれて発展していった大切な場所の京都を忘れてはなりません。
・東映京都を知る男で巨匠ともいわれる存在・中島貞夫の著書、晩年の片岡千恵蔵の出演映画を数本撮影し、菅原文太の主演映画作品を多く撮影しました。
<京都映画祭の生涯功労賞・牧野省三賞は長谷川一夫が受賞していない現実の意味>
京都映画祭は日本アカデミー賞の前身の役割を1958年から1970年代後半までの時期で担っていました。日本映画が生まれて発展していった大切な場所の京都を忘れてはなりません。
驚くことにあの市川右太衛門は第四回までかかっての受賞でした。ちなみに長谷川一夫は受賞さえできませんでした。月形龍之介のほうが主演300作の市川右太衛門よりも先に受賞していることから、いかに助演での貢献度が高い存在であったかを知ることができます。
たとえば渥美清のように一言で語れるようなイメージ俳優はあまりたいしたことがありません。テレビやマスコミの都合がよい誇張も含まれているためです。テレビが中心に世の中に定着させた知名度=現実の活躍には食い違いが存在しているケースが多々あります。比較的に安易な説明できるイメージ俳優は歴代にも多数いますが、一言や簡単に説明できない多くの功績を数多く持つ人物はさらに少なく、世の中の本当のトップといえるのでしょう。