映画を極めろ一直線女子 大映画音楽家のデビュー作3時間37分大超大作『岡野さんと毛利さんと悪太郎さん』を公開しました。
わが国 最大の映画題材について
忠臣蔵映画は1900年代から1960年代を中心に通産300作以上(討ち入りのない関連作も含む)の映画作られてきました。その後もぼちぼちは作られていますが、テレビドラマと映画の共存となり、大きく数は減少していきました。
忠臣蔵映画は通産300作以上は一つの関連も含めた題材として世界歴代最多数です。この時点でお分かりだと思いますが、忠臣蔵映画は1国が中心の題材でありながら、世界の映画界を代表する題材なのです。
一つの題材としては日本最多の通産数億といわれる観客動員を記録したと考えられます。戦前もかなりの観客を呼んでいたことは確実ですが、戦後の観客動員ベスト10のランクインのみだけでも、軽く1億は越しているため、戦後だけでも2億ほどだったとも考えられます。
さらに一つの題材としては世界最多の軽く100名以上の映画スターが主演を勤め、歴代の日本の映画題材でもっともハイレベルな多くの競い合いが存在していました。歴代のシャーロックホームズ映画の主演俳優はまだ数十のレベルであり、まだまだこの差はまだまだ埋まることはないでしょう。
日本のは多くのヒット題材は数多くありますが、同じ題材の主演が1名や2名レベルとはワケが違います。もちろん、多くが演じていれば、評価の全体というわけではありませんが、何名も演じているゆえの題材の凄さというものが存在していることも事実です。
テレビなどのマスコミは映画の名前は伏せますが、都合のいい人物をたらい回しに祭り上げるのではなく、真の多様性を持ち、この事実をきちんと受け止めて発信していただきたいと考えています。
『血槍無双』の貴重なプレスシートを発見。無双という言葉、今はゲームなどから多くの分野に飛び火して若者に多く使われるなど、かなり有名ですが、映像作品では戦前の片岡千恵蔵の名作映画『国士無双』から事実上のスタートしました。その後、1997年から現在もシリーズが続いている『三國無双』というゲームで使われさらに広まりました。
国民的映画題材の重大任務役に立ち向かった男たち
上記リンク先からの表記事の流れになりますが、大河内傳次郎の大石内蔵助は1929年『赤穂浪士 第一篇 堀田隼人の巻』~1959年『血槍無双』において9作の31年の映画歴代最長で演じ、大石内蔵助を戦前と戦後を股にかけて演じた俳優としても映画最多です。大石内蔵助の主演は6作、これは尾上松之助に次ぐ歴代2位ですが、大石内蔵助で5度以上を主演24年で演じた俳優は映画においては歴代最長です。
『血槍無双』のVHS版、CS放送ではハイビジョン版が放送され、録画済ですが、公開当時に近い映像を記録したVHS版も魅力があります。軽く50作以上のヒット作を放った日本映画黄金期の巨匠・佐々木康が監督。この映画で主演の俵星玄馬を演じた片岡千恵蔵と佐々木康は通算20作以上でコンビを形成しました。千恵蔵にとって巨匠監督5人目の20作以上のコンビでした。
片岡千恵蔵の巨匠監督5人目と20作以上のコンビ(主演のみ)は、映画世界記録だと考えられます。
主演950本以上を記録したサイレント映画のみの映画大スターの尾上松之助の大石内蔵助は1910『大石蔵之助一代記』~1927『増補改訂忠臣蔵 天の巻 地の巻 人の巻』までの約18年、最低でも20度以上(作数は歴代最多)を主演で演じ、片岡千恵蔵は戦後のみの1952『赤穂城』~1961『赤穂浪士(1961)』』10年5作(戦後作数最多、戦後年数最長、観客動員は歴代最多の三千数百万人以上)でした。←数字だとわかりにくいので漢字で表記、
さらに現代劇、忠臣蔵風刺劇、ギャング映画などの要素の1963『ギャング忠臣蔵』においても大石内蔵助を現代劇にデフォルメした大石良雄を演じているため、現代劇を含めると12年6作ということになり、作数は大河内傳次郎と並びます。考え方次第では並んでいたともいえますし、観客動員は片岡千恵蔵がトップでした。
尾上松之助の大石内蔵助は短編映画も多かったと考えられますが、長編に該当する分数の大石内蔵助の忠臣蔵映画は最低でも10作は存在していたようです。明確に確認できるものが10作ほどだからです。とりあえずこの3名が国民的映画題材の重大任務役に立ち向かった、忠臣蔵映画を代表する主演俳優だったことは間違いありません。
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